謎のスパルタ教育
ジョナサンで私を、仕事技能、接客技能、さらには人間的にも大きく成長させてくれたのが、副店長格で長く狛江店に所属してくれていた中山さんという大恩人です。18歳で入店した私に比べ、年齢は8歳年上で、当時は活きの良い盛りだったと思います。
ジョナサンでも他のファミレスと同様、高校生までのアンダー18歳組クルーは、法律上夜22時までしかシフトに入ることができません。また、主婦クルーの皆さんは、ご家族を送り出した後の午前中からランチタイム後までの勤務が主体です。そのため、深夜から早朝の時間帯を回すことになるのは、高卒以上の年齢帯のアルバイトと時間帯担当社員がシフトを組んでの対応となります。
この深夜帯を預かることが多かったのが、開店当初から副店長格だった中山さんでした。
何年か後に真実を知るまでは、この中山さんが、私に徹底してスパルタ教育をする理由が、まったくわかりませんでした。開店当時のジョナサン狛江店には、フロア中央に正方形の動かせるテーブル席が4組あり、斜めに置かれて最大4人が取り囲んで座れる一方、10人を超えるような団体客の際に、すばやくつなげて並べ替えることもできる、というフレキシブル席になっていました。
あるとき、フロアをキレイに片付けて帰ってきた中山さんが、私に向かって、「見渡しておかしなところをすぐに直してこい!」
と、背中をドンと突き放し、私は前のめりに店内に出ていきました。一回りして、細かな紙クズなどを拾って帰ってきた私にまず飛んできたのは足のスネへの思いっきりの「蹴り」です。転んですぐに「すみませんでした!」と立ち上がって直立した私に、もう一度良く見てみろ!と後ろ髪を捕まれて元の位置に立たされ、左から右へゆっくり視線を移せ!と、息が掛かるほど間近な耳の後ろからドスの利いた声がかかりました。
中山さんは、フレキシブルテーブル4組の二つ目の、テーブルの木目を、わざと90°ずらして、帰ってきていたのです。店内風景がどこかおかしくないか、瞬時に気づけ!という目配りテストでした。
当時の私は、このような体験を、ひたすら「有り難く」感じていました。中山さんにとっては、これは私に向けての作戦失敗だったと、店を退任なさったのちに偶然会った際、私に語っていましたが、ものすごく怒った状態のはずなのに、ダメだしをするのではなく、もう一度観察させ、発見させるという、指導する側からしたらまどろっこしい我慢強いトレーニングをしてくれたおかげで、店内への目配り能力はメキメキ上達していきました。
中山さんのスパルタ教育は、当時はまったく気づきませんでしたが、私ひとりに対してだけのものでした。こちらとしては、できなかったことを厳しく指導されるのは当たり前なので、他の人をどうトレーニングしているか、など全く気がつきません。
まだ慣れない新人時代に、落とさないように慎重に料理を提供してきたあと、安心して戻ってきたときのことです。こういう際にも、周辺のテーブルで食事が終わっている別のお客様がおられるのに、終わった食器を「お済みのお皿をお下げしてもよろしいでしょうか」と、持って帰ってこなければ、コブシを振り上げて「何見て仕事してんだテメエ!」と怒鳴られます。まだまだ新人の域を出ていない当時から常に、高いサービスレベルが要求されました。
中間下げ物
余談ですが、マニュアル化がきっちりしていたジョナサンでは、「中間(ちゅうかん)下げ物」という作業名称があります。ジョナサンの訓練では、注文に呼ばれたりお冷やのつぎ足し周りをする際などに、通り道で一瞬聞こえる各席のお客様同士の会話の傾向や、食事の進捗程度などをさりげなく、視線は決して止めることなしに「流し観察」を行い、常に店内をそれとなく遠目に点検します。
そして食事が終わった客席からは、間を置かずに、終わった食器をお下げするのです。
これは簡単なことではありません。
本来は、食事後、ゆっくりコーヒーをお替わりしながらくつろいで楽しく談笑していただく時間を設けることで、ジョナサン利用の心理的な「あと味」を良くしてリピートしていただけるようになる、とても大事な取り組みが、「中間下げ物」です。
しかしこれを、「忙しそうにいそいそと」動作してしまっては絶対にいけません。やり方を間違えれば、まったく逆の「さっさと帰れ」というような心理メッセージになってしまうからです。
また、食事を残すお客様もいらっしゃいます。これを、いつまでも、「まだお食事中」と勘違いして、お客様に、「ごめん、これもう下げて欲しいんだけど!」と言わせてしまったら、接客技能としては「完全敗北」です。「わずかなタイミングでさりげなく、お客様に言わせてしまう前に、気持ちが通じて先手を打てる」・・・これが大事な接遇技能です。
忙しくても、事前に何度もお食事の進み具合をさりげなく見ていれば、たとえば、「ステーキ皿のガルニ(付け合わせを意味する業界用語)のニンジングラッセは、おそらく嫌いな食べものなので手を付けていないのだな」などと、こちら側で理解ができるはずなのです。
またもちろん、終わりを示すテーブルマナー通りナイフとフォークを揃えて置く方もおられるし、そうでなくても、肘をついてアイスコーヒーを飲み始めながら談笑を始めているお客様など、仕草でも食事の終わりは、わかることがけっこうあります。
わからなければ、もし片方のお連れ様が食事終了して数分経過した際に、「失礼致します、お済みのお皿があればお下げ致しましょうか?」という際に、普段より少しだけ尻上がりイントネーションにして「質問形っぽさ」を少しだけ強調して醸し出しながら声かけすれば、もう片方の方が気軽に「こっちも下げてください」と言いやすい環境をつくることは、接客技術で充分可能なわけです。
「帰れ」メッセージにならないようにするには、中間下げものをする際に、もし片方のお客様だけでも水が半分以下になっていたら、「このあとお冷やをお持ちします」と申し出て置いて、新しく氷を入れた人数分のグラスごと交換して、「ごゆっくりどうぞ」という声かけテクニックもあります。また、食事を下げる際に「もしよろしければいつでもメニューをお持ちしますので気軽にお声がけ下さい」と伝えれば、コーヒーなどを飲みながらゆっくりしても店に嫌がられることはないんだな、という心理を引き起こす効果が出せ、来店あたりの顧客売上額を向上させることにもつながっていきます。決して、もう一度来ていただくためのクーポンだとかアプリメンバー登録だとかだけがLTV対策ではありません(LTVはマーケティングで大事なひとりひとりのお客様の顧客生涯価値:ライフ・タイム・バリュー)。
もちろん、「中間下げ物」は、お客様を長く居座らせるための技術などではありません。ファミレスは、お客様入れ替わりの回転率も勝負のひとつです。中間下げ物がきっちり行われていると、お帰りになったあと、ダスターのみしか持っていない手ぶらな状態でも、飲み物グラスだけかかえて、すぐその場を整えて、次のお客様をお招きできるのです。
店員は常に限られていますから、「中間下げ物がきっちりできている店」は、混んでいるときにも片付け残り席がほとんどなく、来店いただいたお客様にも心地よさを産み出します。
「なんだよおれら入り口で何組も待たされてるけど、片付ければ座れる席が三つも四つもあんじゃねえかよ」
こう思われてしまったら、お子さまを連れているこのお客様ご一家の「次の来店は、ないな」と思わねばなりません。お席にご案内するより前なのに、すでに、次の来店チャンスをつぶしてしまう。リピート来店を失うこういう一つ一つが、店の大きな売上ダウンになるわけです。
中間下げ物は、その場でのお客様サービスだけではなく、「スムーズな店の回転」、さらには「次回のリピート来店」のためにも、必須の重要作業なのです。注文を受けて商品を売ることイコール商売ではありません。中間下げものをスムーズに行っていることがLTVを上げる大事な仕事です。
殴る真似と暖かい微笑み
心の中では、私には中山さんはとても優しい人にしか感じず(これが作戦失敗と言われた原因)、一度蹴られたあとは、上記のように、コブシを振り上げたり、足を後ろに振り上げての「蹴り真似」だったり、こちらに恐怖は起こさせますが実際には殴らずに、内容に気づかせてくれる教育を、辛抱強く続けてくれました。
あるとき、お冷やを全席注いで一周して、帰ってきたら、「お冷やを注ぎにすぐに行けよ!」と中山さんから命令を受けました。続いて「23卓!」と席番号を言われた私は、今注いできたお二人組のお水が、直後なのに、もう8割方飲み干されていることを発見して驚きました。
「お前が水をつぎに行った時には、ふたりとも空っぽだったろ!あの二人はそろってカレーを注文して食べてくれている。注がれたらすぐに水を飲むかもしれないことを、注文料理別に予想しろ!・・・なんで一周したら安心して帰って来てんだよ使えねえヤツだな。すぐ注ぎに行って来い!おい、絶対に席に向けて直線で走り寄るなよ!静かにスピーディーにもう一度列を回りながら、さりげなく立ち寄って、静かに注ぐんだぞ」
中山さんの教育はキメ細やかです。べらんめえの口調とは内容はまったく対照的。そして飲食サービステクニックが、極めて高度なレベルなのです。
フレキシブルテーブル問題も、当然ながら、蹴られたあの1回では終わりませんでした。
あるとき、「中央テーブルがおかしいから4セット全部直してこい!」と言われた私は、即座に「木目は全部そろってます!」と答えましたが、中山さんは「そんなのはわかってる!ついてこい」と、入り口から入ってすぐの、レジ横のセンター席前端へと、私を連れ出しました。
「ここから店内を見てみろ!」
お客様が店内に入ってきた角度から見ると、角を突き出して45°の角度で並んでいる4つの正方形テーブルの木目は、左上がりに揃っている。全部を90°回転させて、前方から見た際に木目が右上がりになるようにしたら、店内がずっと落ち着いて見える。人間の心理は右上がりを心地良く感じるものだ。
というのが、このとき答えられなかったほんとうの正解でした。
(下の画像は、「同じひとつの絵」をデジタルで左右反転コピーさせただけの、実は同じ画像ですが、心理印象としては、決して、同じ絵には見えません)
あらゆる店内管理がくまなくマニュアル化された当時のジョナサンにおいて、それでもマニュアルにしきれていないポイントを、中山さんはひとつひとつ、極めて丁寧に正確に、私にたたき込んでくれたのです。
ベストクルー賞受賞
のちには笑い話になったことなのですが。
当時の深夜シフトには、男女数名のアルバイトが入れ替わり勤務していましたが、その中に、開店第2日目から追加採用されて、その後私以上に長期間勤務を続けていた、私と同い年の女子クルーがひとり居ました。そのご当人への私の親しげな話し方などが、おつきあいに発展していた中山さんからはライバルのように思えたらしく、ご自分の彼女に対してイヤな存在の私を、最初は、しごき抜いて早く狛江店から辞めさせようとしていたのだそうです。
多数の社員たちが次々に異動する中、中山さんは1年以上の長期にわたって、狛江店への配属が続き、そのおかげもあって、私はどんどん成長しました。中山さんの「テメエどこに目をつけてやがんだよ!」の言葉は止まることはありませんでしたが、ちっともめげずにいつも明るく勤務し続ける私のことが、次第に可愛い存在になってきたのか、後半は、この怒鳴る姿を見上げると、いつもうっすら笑顔で嬉しそうに怒鳴っているのです。
もちろん、各世代の店長や、中山さんだけが私を育ててくれたわけではありません。他店ですでに初期のジョナサン勤務を経て、フォローで狛江店に入ってくれるようになった先輩クルーの皆さんも、たいへん貴重な存在でした。
特に開店直後から来て下さった先輩クルーの新田さんという男性は、誰よりも美しく短時間でパフェを完成させる名人でした。マニュアルで、段重ねのアイスのグラム数や、フルーツの盛り方や数、また、バナナパフェの場合であれば最後に使うチョコソースの量まですべて決められているのに、新田さんがつくりあげると、どこから写真を撮っても見栄えがする、完璧な美しく美味しそうなパフェが手早く作り上がるのです。
当然、不思議に感じる私は質問をしましたが、帰ってきた新田さんのクールな答えはひとこと。
「パフェはセンスだよ。センスがないと無理。」
同じ素材を同じ量で、同じ順序で同じ位置に差しても、違うパフェが出来上がってしまう。これはセンス。ダメだと思ったら、上手くできたのを良く見る。おそらく商品企画の理念をもっとも現しているメニュー写真も、何度も観察する。そうして、自分にないセンスが磨かれたら、つくれるようになる。
スピーディーかつ、あわてずに平常心で組み上げられるようになると、パフェは美しくでき上がるものでした。おかげでその数ヶ月後、私が役職トレーナーの任命を受ける頃には、複雑な仕組みの大型パフェでも、平均レベル以上のものが組み上げられるようになりました。私の新人時代に、理想のスマートな仕草と完璧なパフェを見せつけてくれた新田さんの存在は、短期間ではありましたがとても大きなものでした。
もともと私は人間的には問題が多く、人にとてつもない迷惑をかけることも頻繁なのですが、映画をご覧になった方はおわかりかもしれませんが、私にとっての飲食サービスは、トム・ハンクス主演の「フォレストガンプ」における「ピンポン(卓球)ワザ」のようなもので、何かがピタリとはまった面があったように感じています。大学1年から3年までの、ほぼ常に週3から4日の深夜を過ごしたジョナサンへの勤務で、私は全店のベストクルー賞シルバー(銀賞:全店千数百人以上のスタッフの中から20名)2回、ゴールド(金賞:全店スタッフからわずか5名)1回を受賞し、内部者だけにはそのことがわかる副賞の金のネクタイピンを付けて、後半の期間は勤務を続けていました。
ジョナサン勤務の期間に学び取ったことは、まだまだ計り知れないほどたくさんあるのですが、ここではとても語りきれません。飲食やコーヒー業の方には、直接伝授して差し上げる機会を楽しみにしていただき、いったん、この項は筆を置くことにします。
(ジョナサンの項おわり/赤井 裕)
P.S.このシリーズ投稿について、何人かの知人の方々に善し悪しを見てもらったところ、「もっと聞きたい」「参考になるネタはまだたくさんあるのではないか」「勝手に終わりにするなよ」などの声が、図らずも多数返ってきました。アンコールアワーとして、次回、(5)を準備いたします。