肉をいただく (1)


現代人類(ホモ・サピエンス)は歴史的にみると基本、雑食性です。一方で現在、ほぼ肉だけしか食べないという先住民族がある一方、植物だけしか食べないという思想や個人や団体も存在します。

きょうのお話の前提として、「肉をいただく」ということが、現代や近未来の人類から、とにかく無くなってしまうことはない、という認識で、お話をしたいと思います。

Hope for Animals、というサイトにて、「豚の屠殺における虐待」の問題の議論が3年以上、続いています。残念ながら、廃用母豚(繁殖母豚として出産のためにブリーダー畜産家に飼われた豚の引退を意味する用語)の屠殺現場の中には、目を覆いたくなるような実情がある、という日本での現状がビデオ付きでレポートされたことから、動物福祉、動物愛護、肉食賞賛、ビーガンなど様々な立場の異なる方々が、そのページへのコメントを書き議論が続いている状態になっています。

廃母豚という呼び方自体が良くないと思い、最近、私は(11月)「退役母豚」という新しい統一ネームを、とある企画の場で披露したばかりなのですが、その話は、また別の機会に行うこととして、私が、本日、上記のサイトに書き込んだコメントを、そのままここに再録いたします。

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Hope for Animals コメント欄への発言

Yutaka 2023/01/07
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知識と経験が増えるほど悩みも多くなります。屠殺に限らず、虐待の問題は、動物対象のものだけでなく、人のDVやパワハラを含めて、すぐ無くすことは無理でも減らす努力はみんなで力を合わせて進めていきたいですね。
 
わたしは雑食性で先祖から引き継いだ食生活を続けています。食べものの中では野菜が最も好きで、動物質の中では魚が好きですが肉も食べます。ビーガンの知人も多数居ますがわたしは違います。素晴らしいポリシーのビーガンの方も居ますが、そうではない方も居ます。
 
自然環境に対して罪を犯したくないと都会を捨てて田舎に住む方々と、自分だけ問題から逃げても社会は変わらないのだから都会に住んで人と自然環境との結びつきを気づく食育教育活動に一生を捧げるという人と、どちらが優れているということはありません。それと同じで、ビーガンこそ唯一理想の生き方だとは思いません。牛や豚を1kg育てるのに野菜重量を換算すると十数倍。それは正しいのですが、やさしくビーガン生活に慣れるために製造される大豆人工肉の精製コストは安くありません。そこで石油エネルギーもたくさん使われます。畑の大豆がそのまま肉食感に変わるわけではありません。がんリスクが劇的に下がるデータがあるかも知れませんが、トカラ列島や沖縄諸島に次々に出現する100歳を超える元気なお年寄りは、豚肉をたくさん食べて健康でおられます。
 
宗教自体もそうなのですが、どうしても人は、「自分が至った結論こそ正しい」と思いがちです。人の悪いクセです。多様性を認める素養がない人たちこそが戦争を始めるのであって、そこでの無差別な殺し合いは批判されますが、日本も、もし今戦前と同じような限られた情報や経済や政治状況に置かれ追い込まれたら、人の心がまた「壱億総玉砕」と叫ぶようになるかも知れません。私たちは戦争に巻き込まれ突入し迎合していった祖父母と同じ遺伝子を受け継いでいます。ブータンとかコスタリカは別として、世界の国々の大半は、内乱や戦争を何度も起こした国です。状況が変われば殺し合いも辞さないのが人心の特徴です。
 
世界でもっとも血液がサラサラな民族はエスキモーですが、彼らの主食はアザラシです。アザラシが魚食であるためにオメガ3脂肪酸が高く、幼少期に鼻血を出したりしたお子さんが、たまたま血小板の少ない特徴があると、そのまま出血多量でお亡くなりになるケースがあるほど、エスキモーの方々の血液はサラサラです。このことは二つのことを示しています。一部のビーガンの方々が主張なさるほど、血液や内臓生理は「動物質であること自体が悪」ではないということ。もうひとつは、血液サラサラで悪い動物性脂質さえなければ健康で長生きするか、といえば、そうでもない、ということです。
 
歴史からみると、地域によって、ホモ・サピエンスは植物食に近かったり、魚食だったり、動物もかなり食べた地域もあった、ということです。また現代人の胃腸や内臓の仕組み、退化した盲腸などから考えると、我々の祖先は、植物専食性ではなかったことは明らかです。現代人類が生まれるよりももっと前、ネアンデルタール人以前に、ホモ属に認められている9種の中には、植物の根だけを食べた地方種族も居たようですが、ホモ・サピエンス(=ネアンデルタール人以降のわたしたち)は、いくつかの宗教の方々が人類を神聖視なさるのには反して、雑食性の歴史を歩み、摂取比率は様々ながら、肉も食べてきました。さらに言うと、現生人類には様々な血が入り交じっており、全世界の人類には例外なく、0.4~1.7%はネアンデルタール人から直接引き継いだ遺伝子を保有しています。真のユダヤ人学説とか、様々な「血統」の話がありますが、残念ながら人類はみな兄弟のようです。その兄弟たちの、食べものや思想や生き方の「多様性」を、まず認めたいと思います。否定ではなくて認め合って、共通のところで助け合って協力していくことが大事だと思います。
 
海外各国で大きな市民の力になっているNGOは、テーマに賛同できれば、どのような年齢、人種、思想、心情、民族、職業であっても会員になることができます。タカ派と呼ばれるネイチャーコンサーバンシーも、ハト派と呼ばれるWWFも、みな数百万人の会員を擁する巨大団体になって、「命を大事にしよう」という方向の法律や条約がつくられる時に、政治家が気にせざるを得ない大きな団体になっています。
 
日本は、「同じ考えの人が集まる」村社会のようなクセが強くて、多様性を認めるゆるやかな連帯がどうも苦手なようです。ビーガンの方々、動物も積極的に食べる方々、あらゆる人が、今起こっている「屠殺」という問題について、Dランク評価を受けている日本を、もう少しよくしようよ、ということについては、喧嘩しないで、力や声を合わせていくことができないと、日本民族がオトナになれないように感じています。
 
上記の環境団体を例に取ると、日本野鳥の会とか自然保護協会とか、実働1~3万人の団体が巨大団体と言われますが、参加者数はアメリカ合衆国での上記の各団体の会員の100分の1以下です。
 
私も広域NGOの会員活動をしたり、地域でNPOを立ち上げて運営したり複数関わって矢面にも立ってきましたが、日本って、進んでいるようで民族意識の面では、まだまだ難しい国なんだなあと、何度も壁にぶち当たりながら過ごしています。問題を解決しようとするとき、解決や改善の道筋を個々の英智を結集して組み上げるようにつとめ、個々の思想をなじる喧嘩は、やめませんか?
 
(でもやはり自分の考えに一致する人とだけ生きていきたい、という日本民族的な「村社会思想」のほうを、これからも選びますか?)

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